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大名行列(お茶壷道中)が行き交う街道沿いの茶屋
天保生まれの中川ミノが、安政五年、二十四歳の時に近江の国大津町で営業を始めた。当時大津は、非常に繁栄して居り、東海道を往来する旅人達に茶を飲ませ、江戸へ帰るみやげとして売り始めたもので、屋号の「誠盛堂」も、日本茶の起源となった「日吉大社」の宮司様から賜ったと聞いている。
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初代ミノは気丈な女性で、幾つかの話が伝えられているが、その中の一つに当時16歳であった薮田青年(梅林在住)が参勤交代で通行中の薩摩藩の大名行列の前を横切ったことで、追われて店に飛び込んで来たのを見兼ねて、茶箱の中に隠して、追っ手の薩摩藩士と押し問答の末、無事隠し終えたそうであるのち明治になってから、長じた薮田氏が何度も繰り返しお礼を述べられたと聞いている。 |
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その当時、茶を飲んでいた人々は、高級武士、僧侶、裕福な町人衆の一部で人口の一割ぐらいであったそうである。
茶が一般に普及し始めたのは明治の中頃からで、日清、日露の戦役に従軍した人達が帰還後、軍隊時代に覚えた喫茶の習慣が、普及に大きく寄与したことは案外知られていない。 |
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その後現在のように、どこの家庭でも飲まれるように
なったのは、昭和になってからである。
その間、百七十年、たゆまざる努力の積み重ねに
より現在に至っている。
常に信用を第一として、「緑茶の苦味の中にほのかに
甘味のある本物だけが持つ微妙な日本の味」を追求、
添加物を一切使わず、自然の味を大切にしていきたい
と切に願っている。
大津百町物語 淡海文庫より |
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いいワインがそうであるように、良い産地で採れた良い茶ほど熟成が必要である。
特に朝宮茶は、摘み取りから半年を過ぎた頃から少しずつ渋みが旨みに変化し、次の年の新茶出る頃には、格別の風味を有する本物の「茶」となる。大切な熟成期間をこの蔵で過ごす。
中川誠盛堂貯蔵庫 「築250年」 |
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■アクセス MAP■
●JR大津駅から徒歩約5分、京阪島ノ関駅から徒歩約5分
●大津I.C.から車で約5分
印刷用地図
〒520-0043 滋賀県大津市中央3−1−35 中川誠盛堂茶舗
TEL.077-522-2555 FAX.077−523-3865
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